ミコヤン・グレヴィッチ MiG-9 (I-210 M-82A) 第二次大戦 ソ連戦闘機
1941年5月、ペルミの第19工場において、アルカジー・シュベツォフの手による新型複列空冷星型発動機 M-82 の量産が開始された。当時、液冷列型発動機であるAM系列の供給はIl-2襲撃機の量産へ最優先で割り当てられており、戦闘機向けの動力供給は逼迫していた。この事態を受け、ソ連首脳部はミコヤン、ポリカルポフ、スホーイ、ヤコヴレフの各設計局に対し、自局の戦闘機にこの新型星型発動機を搭載するよう指示を下した。
第155試作設計局が最初の飛行用発動機を受領したのは1941年5月18日のことである。開発は急ピッチで進められ、6月中旬には図面が完成し、試作初号機の組み立てが始まった。計算上、高度6,500 mで630 km/h、海面高度で530 km/hの最大速度を発揮するはずであった。当局が指定した初飛行の期限は7月1日だったが、試作初号機(機体番号6501)が審査飛行士ミハイル・マルツェリュクの操縦で実際に空へ舞い上がったのは1941年7月23日となった。
その後、クイビシェフへの工場疎開によって飛行試験は中断されたが、1942年1月にヴィクトル・サフキンが操縦する試作2号機(機体番号6502)で再開された。この試験を通じて発動機の過熱問題がないことが確認され、さらに量産型MiG-3に比べて錐揉みからの回復特性が大幅に向上していることが判明した。1942年9月7日、機体番号6502は国家領収試験を受けるため空軍科学試験研究所へと引き渡された。しかし結果は失望を招くもので、高度6,150 mでの最大速度はわずか565 km/hに留まった。加えて軍の審査陣は、発動機およびプロペラ推進系統の稼働信頼性の低さと、野戦環境下での整備性の悪さを厳しく批判した。
本機が大量生産に移行することはなかったが、実戦配備の機会は与えられた。1943年6月27日、改修済みの3機(機体番号6501・6502・6503)が実用評価のためカレリア戦線を担当する第7航空軍隷下の第260混成航空師団へ引き渡された。これらの機体はおよそ1年間にわたり前線で任務に就いたが、機体構造の損耗が限界に達し、1944年に全機が除籍された。
ミコヤン・グレヴィッチ MiG-9 (I-210 M-82A) 主要諸元
- 全長:8.078 m
- 全幅:10.20 m
- 全高:3.50 m
- 翼面積:17.44 m²
- 正規全備重量:3,382 kg
- 発動機:シュベツォフ M-82 空冷星型エンジン × 1(1,700馬力)
- 最大速度:565 km/h
- 実用上昇限度:8,700 m
- 最大上昇率:896 m/min
- 航続距離:1,070 km
- 兵装:12.7 mm 同調機関銃 UBS × 3(各200発)、7.62 mm 同調機関銃 ShKAS × 2(各650発)
- 商品タイプ:
- プラモデル
- 状態:
- 新品
- スケール:
- 1/72
- メーカー:
- Art Model
- 製造番号:
- AM 7207
- 原産国:
- ウクライナ
- モデルタイプ:
- マルチメディア
- 寸法:
- 14 × 11 × 5 cm
- 内容物:
- プラスチックパーツ、クリアパーツ、レジンパーツ、デカール、説明書、箱
- パーツ数:
- 40 点
- 塗装バリエーション:
- 1
- 国籍:
- ソ連
- 時代:
- 第二次世界大戦(1939〜1945年)、独ソ戦(1941〜1945年)
- 難易度:
- 4/5 上級者


